top of page
Image by Liane Metzler
About Us

BEST Frequency

周波数の力で産業界の新しい地平を拓く

社是

​創造によって

快適な生活と

​住みよい社会を築く

​ハリコムの歴史 〜創業の歩み〜

創業者であり現代表取締役会長の田中清作は、昭和11年(1936年)12月2日、長野県に生まれる。地元長野県で高校を卒業後、技術者としての志を胸に上京。当時、無線通信の最先端を行く存在であった、後藤慶太(東急グループ創始者)により支援された五島育英会のもと、東京・目黒にあった武蔵工業大学付属 目黒高等無線学校に進学した。

 

ここで田中は、厳しい実地教育と高度な理論を学び、昭和38年(1963年)、国家資格「第一級無線技術士」(現在の第一級陸上無線技術士に相当)を取得。当時、限られた技術者しか手にできなかったこの最高位資格を手にし、技術者としての確かな礎を築いた。

 

その後、世界的にも発展途上であった金属検出機技術の可能性にいち早く着目し、東京にて、先進国の最先端技術を学びながら、日本国内における金属検出機黎明期(草創期)の開発者の一人として、未開の地を切り拓いていった。異物・金属検出という産業界の未知領域において、「導入者」ではなく「創造者」として技術の礎を築き上げた。

 

しかし田中は、単なる技術者に留まることを良しとせず、「真に価値あるものを、自らの手で世に問いたい」との思いから独立を決意。そして1968年7月、豊かな自然と静かな環境に恵まれた故郷・長野県上田市に拠点を構え、トーシン機器有限会社を設立した。1979年9月には組織変更・商号変更を行い、現在のハリコム株式会社へと発展を遂げる。田中清作の歩みは、単なる製品開発ではない。それは、まだ誰も手にしていなかった「金属検出」という領域に光を灯し、産業界の新たなスタンダードを生み出した、日本における金属検出機開発史の一翼を担った物語である。

 

その精神は、創業から半世紀以上を経た今もなお、ハリコムの技術と哲学の中に脈々と生き続けている。変わらぬ挑戦心と、未来を見据える眼差しを胸に——

 

ハリコム株式会社は、これからも世界へ向かって、進化し続けています。

bottom of page